京都文教大学臨床心理学部臨床心理学科教授 濱野清志先生より

このアプローチはとても微細な感覚で身体に触れ、そのときはただふんわりと包まれたような心地よさなんだけれども、後になるとわりとしっかりと身体が反応してバランス調整を始めていることに気づき、施術を受けて一週間ほどで一定のからだのバランスの良い状態に自然と落ち着いていく、という感じになる。

心理療法とはまったく異なった角度から、しかし、どこか深層ではつながっているような体験になるので、それをしっかりと考えてみることが心理療法の意義を捉えることにも役立つだろうと感じる。

さて、その体験記。

まず、両足を精油の入った湯につけて、足をほぐしてから、足に触れながら全体の状態を読み取る。今回は施術の二回目だけれど、前回と同じように、胃が少し疲れている感じがあるらしい。それから横になって、まず、施術に入っていく位置どりを探し、左の足元から入って来られる。これは少し意外な感じがした。いくつか入り口を確かめてもらった中で少し緊張感を感じたところから入ってこられた。右の足の付け根、お腹の方の増永静人さんの経絡指圧でいうところの大腸経あたり、軽く触れられて痛い。

そのうちまどろみはじめ、身体をあずけ、ふと自分の体を触れられることに意識が向き、すっと緊張が入り、またお任せして行く、そんなことの繰り返しの中で、ぼんやりした意識の中で、山中さんがいるのかいないのか、わからないような状態になって行く。

 

途中で夢を見た。小さな女の子のような、女性が道案内をしてくれる。あっち、と指さしたり、トントンと地下鉄に乗る階段を降りて行く。まどろみの中で、夢を見ながら、これはなんだろうと考えつつ、意識が遠のいたり、戻ってきても心地よい変性意識状態が続く。

    

ずっと身近に山中さんがいると感じながら、ふと、あれ、いないのか、とか、そうかと思うとゆっくりと移動したり、体に触れたりするのでわかる。同行二人の感覚。誰かに見守られながら、その見守られに適度な緊張感を感じつつ、身を任せてそれに応えてもらうこと、そのやりとりが面白い。

    

終わってから、その後、色々話すことがまたこれも良い感じで体験を深めて行くことができる。ちょうどコーマワークの話題となる。コーマワークの関わりとの違いや似たところなど。セラピストの動きが相手の体験の一部となり、それが外部との接点を広げることになって行く。コーマ状態にいる人は、外からは届かない世界に入っている。周りからみると、どうやって関わって行けばいいのかわからない。そこにコーマワークとして関わることで、隠れて見えないけれど確かに生きている生命の流れと外界との接点を探り、その人の存在の座標軸を生み出す。

    

この施術も、僕のからだの内奥に隠れて自覚されていない生命の流れ、動きに同調し、少しずつ無理のない範囲で僕の自覚の領域に引き上げられる、そんな体験だ。

    

その後ほぼ1週間近い時間をかけて、自覚的な身体への影響が生じたことも興味深い。施術のなかで、山中さんの体験として、僕の仙骨の周辺が硬い、ということに気づいて、そこを緩めると、髄液がずっと流れていったそうだ。そんなことを施術のあとにお聞きしたが、仙骨周辺の重だるさが2、3日すごく強くなってきて、全体的に新たに適度の緊張バランスを作り直しているように感じた。施術前にあった右股関節の痛みもむしろよりクリアに生じてきたところもある。右の仙骨あたりからの神経の痛みもクリアに感じられた。太極十三勢を行おうとすると、足腰の力が抜けるほどの感じも生じる。しかしこれらも、不思議とネガティブな反応であるとはあまり感じることはなく、腰まわりの偏った緊張が開放し、新たに力を入れるスタイルを作り直すようであった。やはりここでも、身体の生まれ直しをやっているイメージがある。

    

だいたいほぼ1週間で、腰の周りは安定してきた感じである。その後、現在に至るまで、腰回り、股関節周りは快調が続いている。まどろみのなかで見た夢のように、僕はこの施術のプロセスのなかで、心身の交差する地点を深く地下に潜り、他者のイメージに誘導されながら、一週間ほどかけてその夢の続きを腰回りの身体の感覚の変化のなかに見続けたのだろう。

    

身体と精神の生成変化は思いのほか深く繋がりあっている。  そんなことを感じる体験だった。

※コーマワーク 昏睡状態の方とコミュニケーションをする療法
https://jpwc.or.jp/coma-work/